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鈴の音と知恵の実と ~お嬢様の、とある夏の日~

 お昼どき。シャン、という背後からの音を聞き逃さなかったのは、今年は〝ドリル〟にもつけてしまおうかと、まさにそのことを考えていたからかもしれない。
 

「いらっしゃいまし!」
 

 ドリル=大きな縦ロールにした後ろ髪を揺らして振り返る。
 音の主は、小さなお客様だった。小学三、四年生くらいの女の子だ。

 

(あら、将来は美人さん間違いなしですわね)
 

 びっくりしたように見上げてくるつぶらな瞳と、頬から顎に

かけての柔らかなライン。眉のあたりで切り揃えた、ぱっつんな

前髪も可愛らしい。ただ、彼女からは、何かをためらうような

雰囲気も感じられた。
 ならばと思い、目線の高さを合わせて続ける。

 

「こちらの『ナリタセレクト』は、うちからのおすすめ商品ですの。

ねぶたも近づいてきましたし、今はご覧の通り、お祭りや踊りが

テーマの本を推させてもらってますわ」
「は、はい。ありがとうございます」

 

 声こそか細いが、女の子の顔がぱっと輝いた。やはりねぶた、

それもハネトが好きなのだろう。背中のデイパックから、花笠を

模したパスケースと、ミニサイズの鈴がぶら下がっているので

一目でわかった。いずれも、ねぶた祭りの踊り子『ハネト』が

身に着ける正装の一部である。
 

(しんまち店も、ルートのそばですものね)


 そう。ここ成田本店しんまち店は青森市の駅前、ねぶたが通るルートの、まさに目と鼻の先に位置している。そして今日の自分は、所属のつくだ店ではなく、こちらで絶賛ヘルプ勤務中。そんななか、入口そばの『ナリタセレクト』棚の前で、涼やかな鈴の音が耳に届いたのだった。
 

「ハネト、お好きですの?」
「はい!」

 

 今度は、しっかりとした答えが返ってきた。黒目がちの瞳も一層きらめいて見える。
 しかし女の子は、声のボリュームをすぐに戻してしまう。

 

「でも本当は、一度も参加したことないんです。私、運動神経悪いし声も小さいから。ねぶたって、七夕とか灯籠流しがもとなんですよね。そこで私なんかが踊ったら、まわりの人だけじゃなくて、神様や精霊様にも失礼かなって……」
 

 咄嗟に首を振っていた。「何をおっしゃいますの」と。
 

「こんなに可愛くて、しかもねぶたのことをきちんと勉強してらっしゃるじゃないですの。むしろ神様や精霊様だって、大歓迎してくださるはずですわ。何より、誰でも参加できるのが、ハネトのいいところじゃありませんか」
 

 いったん言葉を切り、笑みを深くして伝える。
 

「運動神経とか声の大きさとか、そんなの全然関係ありませんわ。私(わたくし)だってただの書店員ですけど、ねぶたの間はハネトの格好で勤務しようかとも思ってるくらいでしてよ」
「え……」

 

 ハネトの格好、という部分にわかりやすく反応してくれたので、ここぞとばかりに傍らのPOPも示してみせる。
 

「私だけだと寂しいので、彼にもハネトの衣装を着てもらう予定ですの。ご存知でして?うちのマスコット」
「あ、ポム・トントンさんですよね。フクロウの方はナリホーさん」

 

 細い声のままではあるが、マスコット二体の名を、女の子はわざわざ「さん」づけで答えてくれた。ありがたいことに、ねぶただけでなく我が社のファンでもあるらしい。
 

「ええ。ポムっていうのは、フランス語で林檎という意味ですわ。なりほんのシンボルマークが林檎の木ですから。ほら、こちらにも林檎が――」
 

 嬉しくなって、ナリホーがいつも頭に乗せている赤い実に指先を触れた瞬間。
 

「!!」「きゃっ!」
 

 きらきらとした輝きが、自分たちを包み込んだ。

 もしや……と思いつつ、反射的に閉じたまぶたをそっと開ける。
 

「……やっぱりですわ」
 

 理解はできたが、さすがにあ然とさせられた。咄嗟に手を握り合った女の子も、先ほど声をかけたとき以上にびっくりした様子だ。しかし、それも当然だった。
 周囲の風景が一瞬にして、中世ヨーロッパのような街並みに変化したのだから。

 

 ハーフティンバー造りの建物と数々の屋台に囲まれた、ここは広場だろうか。地面は石畳で、右手には教会らしきものも見える。時間はいつの間にか夜になっており、一帯を照らすかがり火の上に広がるのは、美しい星空である。
 そして、なぜか日本語で聞こえてくる喧噪。広場のあちこちで笑いさざめくのは、なんと耳の尖ったエルフや動物の顔を持つ獣人まで交ざった、多様な人々だった。人種の枠を超えて語り合いながら、揃ってとても楽しそうにしている。

 

「あ、あの」
「こんなことまで起きてしまう、いや、できてしまうのですね」

 

 苦笑とともに独りごちてから、きょろきょろするばかりの女の子に明るく伝える。心配しなくて良いのだと。たまにあることなのだと。
 

「どうやら私たち、異世界転生させられたようですわ。ラノベみたいですわね。うふふ」
「え? ……ええええっ!?」
「大丈夫。私の考えが正しければ、なりほんが時空を超えさせるのは、むしろその人に素敵なひとときをもたらすためですから」

 

 握った手を離し、ほら、と、両腕を広げて一回転してみせる。これまたきらめきのなかで一変した、出で立ちを確認してもらうように。シャン、シャン、という涼やかな音色とともに。
 浴衣。白足袋。草履。カラフルなお腰にしごき、襷。そして花笠と鈴。
 女の子も、自分も、この世界の人々も、皆ハネトの格好をしているのだった。

   ◆◆◆

「ラッセラー! ラッセラー! ラッセ! ラッセ! ラッセラー!」
 

 かがり火が焚かれた道路に、威勢の良いかけ声が響く。合わせて跳ね踊る笑顔、笑顔、笑顔。エルフも獣人も、果ては宙を舞う小さな妖精まで、身体を弾ませまくっている。
 

「やっぱ『ネ・ブータ』だよなあ!」
「王国まで、遊びに来た甲斐があったよ!」

 

 後ろの列から聞こえてくる、ご機嫌なやり取り。それに同意するかのように、隣で踊るハネトの声が一際大きく耳に届いた。
 

「ラッセ! ラッセ! ラッセラー!」
 

 最高ですね! とばかりにこちらを振り向いた、つぶらな瞳と視線を交わす。運動神経が悪い? 声が小さい? 全然そんなことはない。これならどこの神様だって、精霊様だって、きっと大歓迎だ。勇気を持って一歩を踏み出してくれて、本当に良かった。
 

「ラッセ! ラッセ! ラッセラー!」
 

 負けじと自分も続く。
 鳴り続ける鈴の音ときらめく汗の向こうで、女の子の笑顔が鮮やかに輝いた。

 

「楽しかったぁ?」
 

 異世界の王国のお祭り『ネ・ブータ』への参加が一段落ついた場所は、一本の大木の下だった。そしてそこには、ある程度予想していた顔があった。
 

「とっても楽しかったですわ! ね?」
「はい! ずーっと踊ってたかったくらいです!」

 

 祭りの名残から、ついボリュームが上がってしまう声で答える。だが、こちらも予想済みの通り、いつしか周囲には誰もいなくなっていた。人影どころか、ともに練り歩いた巨大な灯籠すら煙のように消えて、もはや影も形も見当たらない。
 

「じゃあ、そろそろ帰ろうかねぇ」
 

 いつもののんびり口調で、大木をそのままミニチュア化したような同僚が促してくる。林檎の木の精――ポム・トントンが。ちなみに彼も、ちゃっかりとハネトの格好である。
 

「あ、そうだ。もとの世界では、ほんの数秒しか経ってないので安心してねぇ。だからもう一回、ハネトに参加できるよぉ~」
「本当ですか!? やった!」
「でしたら、向こうでも一緒に踊りませんこと?」
「はい! ぜひ!」

 

 女の子と笑顔を向け合っていると、どこからかナリホーも現われた。いかなる仕掛けなのかいまだによくわからないが、常に頭から落ちない林檎の実とともに。
 

「じゃあ、来たときと同じようにナリホーの林檎に触ってねぇ~」
 

 かしこまりましたわ、と従う前にふと気づいた。
 

「ごめんなさい、今さらですけど、お名前を伺ってもよろしいかしら? 私は、お嬢。成田本店のお嬢ですわ」
「はい、知ってます。お嬢様は有名ですから」

 

 汗で張りついた前髪の下から、きらきらの瞳が教えてくれる。
 

「私、成島(なるしま)智(とも)っていいます。お友だちからは、〝なると〟って呼ばれてます」
「なるとちゃん、ですわね。では、今後ともよしなに」
「こちらこそです、お嬢様!」

 

 来たときと同じように手を握り合う。そうしてもう片方の手でナリホーの林檎に触れると、もはやお馴染みのきらめきが自分たちを包み込んだ。
 シャン、という鈴の音とともに。                       

 Fin.
 

※ この物語はフィクションであり、本文中の表記・表現等はすべて作者の責によるものです。

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© Lamine Mukae

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