新しいきらめきを ~お嬢様の、とあるひととき~
天気予報によれば、今日の最高気温はたしか十五度。
(ようやく暖かくなってきましたわね)
ガラス越しに外を窺いながら、自然と笑みが浮かぶ。幸い天気もよく、駐車場には昼下がりの柔らかな陽射しが降り注いでいる。
四月上旬というのは、温度だけでなく、いろいろなものが気持ちを明るくしてくれる時期だ。新たなスタート、新たな出逢い、新たな発見……。そういえば新商品のアクリルスタンドも、お陰様で注文が途切れない。先ほども、近くの大学に通っていると思しき、若い女の子の二人連れが、
「あ! あった!」
「よかった~!」
と、嬉しそうに買っていってくれたばかりである。
暖かくて、ちょっぴりまぶしくて、気持ちが安らぐ春の一日。
(こんな日は、きっと――)
笑みを絶やさぬまま、ふとした予感を覚えたとき。
「あの、すみません」
遠慮がちに、背後から声をかけられた。
「はい! なんでございましょう?」
優雅に振り返ってみせた直後、「あら」と思わず口に手を当ててしまった。声の主は若い男性客だったが、向こうも向こうでなんだか驚いた顔をしている。よく見ると若干、頬のあたりも赤いような……。
(いけませんわ、〝ドリル〟が当たってしまったのかしら。けど、そんな感じには見えませんわね)
振り返った拍子に、自慢の極太縦ロールが、相手の顔を撫でるか何かしてしまったのかと思った。が、そこまで至近距離ではないので、単純にこちらの美しさに、はっとなっているだけかもしれない。
(よくあるリアクションですものね。というか――)
これまた自慢のアンダーリムグラスを通して、男性の全身にあらためて視線を走らせる。あら、と声が漏れてしまったほどの、その変わった姿に。
「素敵なお召し物ですこと。レトロな感じが、大層お似合いでいらっしゃいますわ」
「ど、どうも」
お世辞でも、もちろんからかったわけでもない。言葉の通り、男性は妙にレトロな服装をしており、しかもそれがやたらと様になっているのだった。
詰め襟の制服に、徽章つきの学生帽。マントのようなケープがついたコートは、たしかトンビコートとかいうものではなかったか。靴こそ普通の革靴だが、あとは下駄でも履いていれば、漫画やアニメに出てきそうな「バンカラ」男児の出来上がりだ。いずれにせよ、全身真っ黒のレトロな出で立ちが、本当によく似合っている。
「あの!」
「はい?」
見つめられてさらに緊張したのだろうか、少々上ずった声で、レトロ学生がふたたび声をかけてきた。
「じ、自分も将来、書店を開いてみたいと思っておりまして。あ、いえ、ご覧の通り、まだ学生ではありますが」
「え? ……あらあら、まあまあ! そうなんですのね!」
半瞬だけ固まりかけたものの、すぐさま理解し、胸の前で手を合わせる。なるほど、そういうお客様だったとは。
ならば、皆まで言わずともわかる。
「よろしゅうございましてよ。ご案内いたしますので、どうぞ遠慮なく見学していってくださいまし。なんでしたらバックヤード、ええっと……従業員専用の裏側もご覧になられます?」
「いいんですか!? はい、よろしくお願いします!」
嬉しそうな彼に頷きを返し、どうぞこちらへ、と並んで歩き出す。
先ほどとは別の理由で頬を上気させるその姿が、どこか頼もしく感じられた。
次第に緊張も解けたようで、特に後半は熱心に質問を重ねつつ、レトロ学生は三十分ほどに渡って店内を見学していった。
「どうもありがとうございました。とても参考になりました」
「いえいえ。お役に立てたなら、何よりですわ」
「いつか必ず、僕も自分の店を持ちます。じつはもう、具体的な計画も考えてるんです。まずは安方(やすかた)の方で新聞販売所を開いて、そこから本や文具、雑貨なども取り扱っていければ、という感じに」
「素晴らしいですわ。きっと地域の方々に愛される、素敵なお店になることと存じます」
「ありがとうございます。何年先になるかはわかりませんが、そのときはぜひ遊びにいらしてください。ええっと……」
「〝お嬢〟で結構でしてよ。私、見た目の通り、お嬢様と呼ばれていますの」
胸を張って返したところで、大切なことを思い出した。「そうですわ!」と手を叩き、真っ直ぐに目を見て告げる。
「万が一の話ですけど、せっかく開いたお店に何か不幸や不運があったとしても、決してくじけないでくださいましね。あなた様の届ける本や、文房具や、小間物や、新聞や、いろんなものを必要としているお客様は、きっとどんどん増えていくはず。そして、誰かに何かを届けたいというあなた様の想いは、十年後も、百年後も、必ず受け継がれていきますから」
「え……」
「お嬢との約束ですわ。もしつまづいたとしても、勇気を持って立ち上がること。よろしくて?」
「……は、はい!」
気がつけば、トンビコートの内側へ腕を伸ばし、彼の手をしっかりと握ってしまっていた。女性慣れしていないのだろう、またもや赤くなる様に申し訳なさを感じつつ、にっこりと呼びかける。
「お会いできて嬉しかったですわ。善三郎さん」
「い、いえ、こちらこそです! ……って、あれ? 僕、名前をお伝えしましたっけ?」
「ふふ、言いましたでしょう? 私はお嬢。この店の娘ですのよ」
「? それって、どういう――」
狐につままれたような顔をしているレトロ学生――善三郎の手を離し、「ちょっとお待ちくださいましね」とレジカウンターへ向かう。棚から目的のものを取り出し、すぐさまもとの場所に戻って差し出した。
「かなり早いかもですけど、こちら、記念にお渡しさせてくださいな」
「わあ! いいですね、これ!」
プレゼントさせてもらったのは、店のブックカバーである。大きな林檎の木と、緑豊かな葉のなかに刻まれた《glean green gleam》の文字。
「本にかけるカヴァーですの。木のなかの英語は、『新しいきらめきを集めよう』っていう意味だそうですわよ」
「新しいきらめきを集めよう、ですか……」
素敵ですね、とばかりに善三郎が頷いた瞬間、まさに小さなきらめきがブックカバーから立ち上ったように見えた。けれども本人は気づかない様子で、負けないくらいに自分の目をきらきらさせている。
「何から何まで、本当にありがとうございます。正直に申し上げると、いつの間にかお店に入っちゃってたんです。けど、お邪魔できてよかった。これも運命ですかね。はは」
「ええ。間違いなくそうですわ」
「では失礼します、お嬢様。このお礼は、いつか必ずさせてください」
笑顔のまま頭を下げ、身を翻す善三郎。強さを増すきらめきとともに、黒い背の輪郭が薄くなってゆく。そうして彼の姿は、光と一体化するようにして消えていった。
ガラス越しに見える、同じ色をした春の陽射し。まるで、そのなかへと帰ったみたいに。
「なりほんてば、たまにこういうことがあるから楽しいのですわ。まあそれにしたって、今回はスペシャルすぎる迷い人さんでしたけど。うふふ」
口もとに手を当てひとりごちたところで、別のお客様が入ってきた。
「いらっしゃいませですわ!」
もみあげ部分もそうしている縦ロールを揺らして、元気に声をかける。
あなたにとっての、新しいきらめきが見つかりますように、と願いながら。
◆◆◆
文明開化を経て、近代化がますます加速していた一九〇八(明治四十一)年。青森市安方に、新聞販売所をもとにした書店が開業した。
店を興したのは、成田善三郎。後に林檎の木をロゴマークとするこの店は、火災や戦災にも負けず、『成田書店』から『成田本店』へと名を変えながら、現在にいたるまで百年以上にも渡って地域で愛され続けている。
Fin.
※ この物語はフィクションであり、本文中の表記・表現等は、すべて作者の責によるものです。

